2022/3/28 17:47
子ども達の様子
お集まり開始

2010年4月19日(月)

今日から、お集まりを開始しました。

朝、みんなで集まって、朝の挨拶をして体操(ダンス)をします。

今日は、初日だったので、体操もまだバラバラでしたが、みんな元気に体を動かしていました。

今日は、その後、鯉のぼりを出しました。鯉のぼりが揚がると、子供たちから歓声が上がっていました。

鯉のぼりに見守られて、元気に保育園で過ごせるといいですね。

 

 

 

=豆知識=
中国の正史、二十四史の一つである「後漢書」による故事で、黄河の急流にある竜門と呼ばれる滝を多くの魚が登ろうと試みたが鯉のみが登り切り、竜となることができたことにちなんで鯉の滝登りが立身出世の象徴となった。

本来は真鯉(黒い鯉)のみで、明治時代から真鯉(真鯉)と緋鯉(ひごい)の対で揚げるようになったが、昭和時代から家族を表すものとして子鯉(青い鯉)を添えたものが主流となった。ただし、過渡的に黒と青だけという組み合わせも見られた。

最近では緑やオレンジといった、より華やかな色の子鯉も普及してきており、所によっては女の子も含めて家族全員の分の鯉を揚げる家もある。暖色の子鯉の増加はそういった需要に応えてのことのようである。

さおの先に回転球やかご玉、その下に矢車を付け、五色もしくは鯉などを描いた吹流しを一番上に、以下真鯉、緋鯉、等を大きさの順に並べ揚げるのが一般的。なお、都市周辺では1980年代以降の住宅事情や少子化などのため、後述の童話に歌われるような、民家の庭に高々と鯉のぼりが揚がる姿を見ることは少なくなっている。高速道路などでは風速、風向を示す吹流しが、4月・5月には鯉のぼりに取って代えられる場合も多い。

「江戸っ子は皐月の鯉の吹流し」と言われるように、鯉のぼりは「幟(のぼり)」とは名付けられているものの、形状は魚を模した吹流し形である。そもそも、鯉のぼりは門松や雛人形と同じく、江戸時代中期の裕福な庶民の家庭で始まった習慣であった。

端午の節句には厄払いに菖蒲を用いることから、別名「菖蒲の節句」と呼ばれ、武家では菖蒲と「尚武」とを結びつけて男児の立身出世・武運長久を祈る年中行事となった。この日武士の家庭では、虫干しをかねて先祖伝来の鎧や兜を奥座敷に、玄関には旗指物(のぼり)を飾り家長が子供達に訓示を垂れた。一方、大きな経済力を身につけながらも社会的には低く見られていた商人の家庭では、武士に対抗して豪華な武具の模造品を作らせ、のぼりの代わりに黄表紙の挿絵などを見ると五色の吹流しを美々しく飾るようになっている。さらに、吹流しを飾るだけでは芸がないと考えたのか、一部の家庭で「竜門」の故事にちなんで、吹流しに鯉の絵を描くようになった。現在の魚型の鯉のぼりは、さらにそこから派生したものである。


出典:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」